日本人駐在員BBQパーティ
まあ、楽しそうな内容匂わせといて、結論言ったら、駐在員みんな消耗しとりますわ、っていう現実を知ったっていう話。
某日。
駐在している日本人仲間内何人かでBBQやるとのお誘い。3連休最終日で暇だったので参加するといつもの顔ぶれ+2人の初めましてで7人くらい。
この国に駐在している人は、本当に若い人がいなく、駐在期間が長い人が多い。駐妻もいれば独身もいるし、何か国も回っている人もいれば、この国だけの人もいて、バックグランドは多様。そういう話は面白い。
この国で友達と言えるような人がいないので、プライベートで過ごし時間が長いこの人たちを友達と呼ぶのが正しそうやねんけど、きれいに40~50歳。
昼から酒飲んで、夜はイベントがあったから引き続き飲みつつイベント行って、みたいな典型的な良い週末の過ごし方なんやと思う。
けどまあ、世代も違うし話題も昔話と芸能話とジェネギャいじりくらいで、まじで中身がない。
そりゃ、笑いが取れるという意味で、面白い人は結構いてて、笑えるねんけど、2回り世代が違って、海外生活しているだけあって勢いがすごいくて我が強い人たちに囲まれて居心地が良いとは言い難い。
で、おれが興味あるのは、なんでこの国で仕事をしていて、どれくらい稼いでいて、人生が充実しているのか、とかそういうことやねんけど、誰も話さない。
それは、誰も充実していないから。
あとは、1人だけ充実しているとして、それを言ったら周りから疎まれるから。
夕方くらいになると、泥酔する人が出てくる。もうね、人生どうでもいいとか言うわけ。
日系企業で働いていようが現地企業で働いていようが、外資系であろうが、関係なく、一様に満足している人がいない。
1人完全に勝ち組がいて、それは駐妻だった。
生粋の大阪人で負けん気が強く肝が据わっていて怖いことを怖いと思わないタイプ。
話を聞いている限り夫はおっとりしていて異常なまでに優しくて放任もしてくれるという神様みたいな人。
まあその駐妻に制圧されているんは間違いない。だって16年付き合って結婚した言うてたし。
駐妻は日々ストレスなく、日本人駐在員の同世代の不定休の友達や夫の仕事関係の人と遊ぶ日々。基本的にくっそ暇らしい。そらそうや、子供もいないねんから。
さて、駐妻以外は全員消耗しとる。
あんまり経験なかってんけど、日々のストレスを酒にぶつけるってこういう感じなんやって分かった。
イベントも終わって帰るよーってなったとき、4人方向が一緒で、1人は別方向。
職業柄、その1人が帰り方を案内してくれててんけど、その人はタクシー推しで、4人のうち1人は泥酔で使えず、1人は感情的にバス推し。
結局タクシーに押し込む感じになったけど、酔いも手伝ってバス推しの人はずっと文句言うてるし機嫌悪そう。
一方でバスに押しこんだ別方向の1人も機嫌悪そうに押し込んでた。
要するに、大の大人が5人集まって、どの手段で家に帰るかということさえ、まともに議論できずに衝突してしまうような環境に囲まれているやわ今。
我が強くて自分の意見が言えることが基本で、逆に言えないと死んだも同然みたいなのは、相手が日本人以外なら本当にそうで、海外生活長い日本人もそれに慣れている。
だからといって、大の大人がそれを話し合って解決できないのか、というのは割と大きな衝撃だった。
タクシーから下り、泥酔さんを送り、最後の登場人物である日系大手の駐在員と二人になる。
彼は30半ばで若く、終始ごりごりの関西おばちゃんたちに機転の利いたつっこみを返して人気を博している社畜。
面白いしまともな人だと思っていたし、今日唯一まともな話をした人だった。
ふぅーやっと終わったー。いやーお疲れ様ですね!
役目を果たした彼が一言言うたけど、皮肉なことに、週末でも消耗しているやんけ。
見てて分かったけどかなり気を使うタイプで、おれと話すときもなにかアドバイス的なことをしてくれようとしてくれるいい人。ただ、申し訳ないが、損するタイプだと思った。
少し立ち話をした。
彼曰く、日系企業が海外に展開しても、結局日本のやり方を現地に押し付けることになる。しかしそれでは現地からの反発に遭って組織が崩壊するから、そうならないように日本人駐在員が穴を埋めて泥をかぶる、と。
これはうちの会社も全く同じだった。
うちの会社では恐ろしいことに、
ローカルスタッフは19:30以降は残業になるが、駐在員は残業代なし
というルールでかつ、残業代は必要なら払うがそうでないなら基本は出さないようにしたい。
というローカル贔屓が普通にありローカルにとってぬるま湯以外に何物でもない上、駐在員に過度な負荷がかかっているにもかかわらず、将来的にはローカルだけで回る会社にしたいなどどほざいておる。
構造的にこうした問題があって、その彼も聞くところ激務だし、かく言うおれも前述の通り激務だし、うちは上司もやっぱり激務。
うちの上司を見ていると、激務+トップからのとんでもないプレッシャーによるストレスで40過ぎから体調がみんな圧倒的に悪い。普通に人生の満足度が低そうで、でも会社への忠義で生きている感じ。
あ、こういう人生を送りたい、と思えるロールモデルが、全くいない。
ちなみに、その日系大手はさらに深い闇を抱えていそうなので今度聞いてくる。まともな話ができそうな日本人と会えると良い。いつまでこの国で、この会社で働くかを決めるための貴重な情報源になるから。
辞めるということは、決めた。
今回酔ってて雑過ぎたけど、次はもうちょっと洞察いれます。
線で理解すること、点で理解することの違い
前の住人(上司)が契約していた部屋のネット回線が遅いことが判明して、より早くて安い回線を最近新規契約した。
そのときに光回線なのかADSLなのか、とかこの機器はモデムなのかONUなのか、とか、正直よくわからんと思った。
現地語で説明されても数字さえ分からへん。
で、せっかくなので回線の話とか機器の話を自分なりに整理してみようと思って調べて書いて考えているときに意外と整理されてあーこういうことかってのが分かった。
それで、今まで会社で「点で理解するな、線で理解しろ」って言われてたけどこれが線での理解で、今までのが点での理解やったんやなってのが、なんとなくから確信に変わったので書き留めておきます。
点での理解。
上の例になぞらえば、モデムってなんやろってのを検索して、ヒットした記事を読んでいったん分かったような気になるけど前後の繋がりや自分が理解したい範囲が決まっていないため、数日後にはモデムってなんやっけに戻る理解の仕方。
単語帳方式。
理解ではなく暗記。
ナンパで言うなら、口説き文句だけを覚えること。
応用が利かない。
個別具体的。
点ありきなので、関連事項がきても結びつかず、点が離散してまとまらないイメージ。
線での理解。
モデムってなんやろ、てかそもそもネット回線ってどういう全体像なんやろ。どこから線がやってきて部屋に到達して、ルーターとやらに到達して、Wi-Fiが飛んで無線でネットが使えるようになるんやろ、で、モデムってその中で何をしている人なんや。
というように全体像への関心からまず入り、その中で個別機器の1つとしてモデムを捉えて前後の繋がりとともにモデムの役割を理解するような理解のやり方。
頭の中で整理され、理解を伴うので忘れにくく、それ自体を忘れても他の流れを手掛かりに思い出すことができる。
抽象化概念化されているため応用可能。
ベースとして全体像が把握されているため、追加の情報を理解しやすい。
自分が何を理解したいのかはっきりしているため、情報の取捨選択ができる。
線での理解が重要なことは言うまでもない。
ではどうすればできるか。
ポイントは、個別事象(ここで言うモデム)に飛びつかず、全体像へ関心を持つこと。
では全体像とはなにか。
要するにその個別事象はそもそもどういうストーリーの上に存在しているのか、ということ。
モデムってそもそもなんやねん、なんでいるねん、てかネット回線ってなんやどっから来るねん、というように個別事象より何段か上の階層から考えるイメージ。
時系列で整理するとか、フレームワークを使うとか、プロダクトサイクルを考えるとか、始点から終点まで追うとか。なんでもある。
で、もちろんそのストーリーは無限に広がるため、自分で範囲を決めるしかない。唯一の正解はない。
上記の例では、ネット回線とネットワーク機器の基本的な流れを常識的なレベルで理解しておきたい、というのがまずある。
損をしないためである。
なのでどこから線がやってくるのかを調べる。すると基本的な流れが分かる。
ADSLとかCATVといったようにいくつか種類があることや機器の基本的な役割が分かる。
回線ごとのメリットデメリットも知れる。
なぜ機器が必要かも分かる。
回線業者とプロバイダ業者の違いも分かる。
これだけ分かれば家以外でも応用が利きそうだなと分かる。
自分としてはこれで十分である。
ところがこれが自分の専門的な仕事となると全然話は違う。
それぞれの事象についてもっと詳しくある必要があるし設置方法も知らないといけないかもしれないし関連する法律も知らないといけない。
ただ、全体像から理解しに行くという態度は変わらない。
調べるうちに点を集めにいくことになる場面もあるが必ず他の点と線を引いてつなげることが必要。
これをやらないと単語帳方式の暗記になってしまう。
まず最初にMECEとか使いこなしてだーんと全体像を決めてそこから個別事象に落とし込んでいくトップダウンの思考が得意な人もいれば、個別事象から遡って徐々に全体像をつかめて来たぞというボトムアップ的な思考が得意な人もいるでしょう。
個人的には行き来するのが良んちゃうかなと思っている。知らんけど。
と書いたけど、線で理解するとは一言で言うと、自分の言葉で体系化していくことやと思います。
いろんなことが体系化されていろんな分野の本もあるけど、頭にすっと入るようで忘れてまうのは自分の言葉にできていないから。
そのためにはアウトプットが必要ということですね。
で、物事の本質を理解せよ、とはこれもよく言われる言葉やけれども、それは線での理解の次の段階なんやと思っています。
最後に。
最近分かったことのひとつに、体系的に何かを理解しよう、というのは、あとで時間があるときにやろ、といってやるのではなく、思った瞬間にやるしかない、ということ。
時間があるときにまとめて調べて整理するか、と思ってもその時間は二度と来ない。忘れ去られる。
線で理解するということについて、結局重要なのは
1.思った瞬間に調べる
2.自分で描いた全体像(何を理解したいか)を妥協せずに調べる
ということに尽きる。
思った瞬間に妥協せずに点を線につなげることが1番大事。
やり方云々に先に走ってしまう人が多いけど、こういうメンタルの部分が占める割合の方が重要ちゃうかと。
やり方知っててもやらない人はやらないし、逆にやり方知らなくても絶対妥協しないメンタルがある人は理解できるまで効率悪くてもたどり着く。
一度たどり着けば自分の血肉となって身に付く。
そこで違いが生まれる。
で、その違いの積み重ねで優位性が生まれる。
話がずれるけど、プライド高い高学歴エリートは前者が割といて、逆にマイルドヤンキー出身の大成した人なんかは後者が多いとは個人的な観察結果。
学習に限った話ちゃうのは言うまでもなく。
知識の増加を目的に勉強してはいけない
先日『インベスターZ』という漫画を読んだ。秘密裏に活動している投資部で中高生が学校運営の資産運用をしているというぶっとんだ設定の漫画。
金やビジネスの勉強ができ、学び多い漫画だったが、その中の一節に衝撃を覚えた。
「知識の増加を目的の勉強をしてはいけない」
という趣旨のセリフである。
そのときはあーいいこと書くなあくらいだったのが、しばらく読書メモのための再読中に気付いた。
「あれ、無意識に知識の増加が目的に変わっているかもしれない」と。
特に、読書においてはそれが顕著かもしれないな、と。
向上心が高く、それゆえ隙間時間を読書に費やす人は多いでしょう。
私も就活を控えた学生のころ、とにかく情報感度をあげようとTwitterとかでそれっぽい発言をしている人をフォローしてはツイートを食い入るように見て、それを繰り返していくうちに読書量と成功は相関しているな、ということには気づいた。
そこで、それまでほとんどしてこなかった読書をするようになった。
以降、社会人になってからも継続的に読書をしてきた背景がある。
本来、読書とはあるテーマについて何らかの課題意識があり、それについて自分で考えても分からないとき、助けが欲しいときに、金を払って先人・賢人・経験者の言葉に触れる営みである。
ところが、本を読んでいる自分にある種酔いしれ、魅かれるテーマの本を見ては買い、誘惑に負け読み終わってないのに他の本に浮気したことはないだろうか。
考えるよりも先に、答えを知ろうとしてはいないだろうか。
そんな折、前述のセリフを見てふと感じた。
本の中で生きているだけちゃうか、と。
現実の世界が見れていないんちゃうか、と。
読んでも何も血肉になっていないんちゃうか、と。
無駄ちゃうか、と。
きっとこう感じる人たちは、真面目に大学受験のときに勉強時間を確保してコツコツと勉強したタイプ。
天才に勝てないと悟り受験というゲームに勝つためにプレイ時間だけは負けないようにしたタイプ。
そして何らかの折に触れ、読書というゲームに変わる。
ビジネスの世界でも、特に本を読んでなさそうなのに活躍しているやつを嫉妬しつつ、コツコツ読書する向上心があるタイプ。
資格試験とかも好きなタイプ。
真面目なのである。
与えらえた課題に答えるのは得意だけど、自ら問いを立てて進んでいくのは苦手なタイプ。
人の人生を生きているタイプ。
図星の人もいるかもしれない。なぜなら私は完全にこのタイプの人間だったからである。
仕事でもプライベートでも、実は自分の目の前にいくらでも課題は転がっている。ところが読書の住人である人は分かっていながらもその現実から目を背ける。というより、本に頼る。自分で正面から解決せず、情報の海に飛び込む。溺れる。
結果、実は一番学びの多い現実から得られるものが少なくなってしまっている、というなんとも皮肉な人生を送っているタイプである。向上心があるのに、である。
これはなぜかと考えたときに、まずネット時代によって簡単に情報が入り簡単な問題ならだれでもすぐに解けるようになったことで、それに手を伸ばすのが楽、というのがひとつある。
しかし、より深刻な問題として、自分は他の人と違って読書をしているから普通の人が解けない問題でも解ける、というプライドがあるのではないか、と。
自分の方ができるはずや、だってこんなに本読んでるねんで、と。
あと、ネットで調べているんではなく、本で勉強してるねんぞ、というプライド。本を読むのは良いことだと誰もが言うので、それを盾に自分を守っている。甘えである。
正直最初にあのセリフを見たとき、そんなことはしていないと否定した。
否定したかった。
でも自分に正直になると、分かった。
本を読んでいるというより読まされている、と。
自分が尊敬する人が紹介する本を買えばその人のようになれるかもしれないと甘くも考えてしまう。
情報が集まり出し、尊敬する人が増え、ことあるごとに本が紹介され、自分でも興味のある分野ができ、気付いたら読書中毒になっていて、でも読んだ割に変わっていない自分がいる。
人の人生を生きているから、軸がないのである。
悪循環から抜け出すには、まず悪循環にいることを認識し、自分に正直なること。
そして、自分の人生を生きるために目の前の課題を自分の頭で考えること。
本との向き合い方を考えること。
読書をいったん止めても構わない。何も支障はない。
現実の世界に戻ってきて必死に頭を使おう。
結局それが一番勉強になる。
読書はあくまでそれを加速させるための武器。
順番を逆にしてはいけない。
自分の人生と他人の人生、どっちを生きたいですか。
【今年の抱負をちゃんと実現させる方法】
2018年が始まり心機一転して今年の目標を立てて今年こそはこれを頑張ろうとぼんやり考える人が多い時期。
目標を立てるのは非常に良いことであるが、しかしそれはだいたい達成されない、それどころか実行もされなければ、立てたことさえ忘れてしまうものになる。
毎日1日5分英語をやれば、毎週本を読めば、1年後にはビジネスマンとして成長した自分がいる、とか、1日1声掛けすれば毎月新規の女の子とセックスできるとか、多くの人は思い描くが実行できずに3日ボウズになって1か月後には忘れる。
タイミングが良いので、せっかく立てた殊勝な目標を継続して実行するための方法を今日は書きます。具体性を持たせるために自分のケースを例にやっていきます。
ところで、物事を考えるときに、大きな枠組みでとか全体を設計してから、とかいう言葉が良く使われる。先日読んだ本で使いやすそうな枠組みがあったのでそれを使ってみる。
①診断
②基本方針
③行動
※『良い戦略、悪い戦略』から 抜粋。
いい戦略とは総じてシンプルなものだ、という前ふりがあって、「戦略の核は、診断、基本方針、行動の3つの要素があって、現状を分析して課題を洗い出し、それにどう対処するか基本方針を示す。この基本方針の下で、リソースを投入し一貫した行動を取る」ことが大事だ、である。ちなみに個人のレベルでは、リソースというのは時間とカネに他ならない。
さっそくやっていきましょう。
①診断
目標を立てる、という文脈の時、なぜその目標を立てるのか(目標を達成して何になるか)というのがまずある。筋肉をつけたい、という漠然とした目標でも、自己満足のため、とかモテるため、というのが根底にある。そしてこれをさらに掘ってなぜモテたいのか、というふう深化させていくと人生についてどのように送りたいか、という割と深淵な思考に耽ることになる。年始の時間があるときにこういうことを考えると良い。なぜならそれはぶれない軸になるからである。一度目標を立てても途中で投げ出さないモチベーションに一役買ってくれる。
次に、なぜその目標なのかを考えたあとは、よくある話で、現状と目標を達成したあとの姿のギャップを考えることになる。現状対しても理想に対しても嘘をつかないことがポイントになる。あと定量的に考えられると良い。体重65kgを70kgに増やす、という目標なら、カロリー計算やって計算通りのカロリーコントロールをすればそれだけでよい。
一方で英語が上手くなりたい、といった定量評価が難しいものもある。この場合は、例えばTOEICで900点というのをあくまで目安として設定する、というのがその1つである。ただしこれは目標が本来の目標と入れ替わってしまい身にならないことがよくあるので注意。そうでない場合、例えば、まず英語がうまくなった状態をできるだけ具体的にイメージする。30分の商談を1人でする、とか外人をナンパして口説く、とか。それで定期的に実際にそれをやってみて評価する。満足できるレベルなら目標達成。そうでないなら鍛錬し再度挑戦。
ちなみに自分について言うと、こんな感じ。言葉の定義は割愛。
人生を幸福に生きたいというのがまずあって、そのためにはセクシーなかっこいい大人になるぞ、というのがある。僕愛の永沢さんのイメージなんかな。で、自分の現状を心技体に分けて分析して、目下最大の課題は心の部分だなあと感じている。物怖じしないとか余裕があるとか胆力があるとか。ただそれは行動の結果生まれるものであってそれを意識して生活しよう、というのでは解決できへんな、というのがあって、窮屈たらしめているものは何かと考えた。それはアジアでの駐在を始めてから、英語でうまいこと言いたいことを言えなくなったことと、結果として自分の意見がうまく言えず、筋は通っていない我が強い現地人に押し負けることであると至った。この技術的課題を解決することで心の課題もスパイラル的に解決に近づくのでは、というまあ仮説である。
なのでざっくりとは、「英語でうまいこと意見を言ったり人を動かすスキルを身に付ける」である。
とまあここまで分析できるとブレる可能性も減るというものである。
②基本方針
診断が終わった次は、どのようにそれを実現していくかという大枠を決めることになる。自分のケースで説明すると、英語でうまいこと意見を言うためには、まずは英語が話せるということと意見が言えるということの2つに分解できる。
これにいきなりトライするのは難しいので、
英語と流暢に話す訓練と、
分かりやすく意見を主張したり説得したりする訓練
に分けられる。
それぞれに慣れてきたら同時やる、もしくはまず日本語でやって英語に翻訳する、というのをひたすら繰り返す、というやり方になるかな、というのが基本方針になる。
他にも例をあげると、例えば体重を増やす話なら、摂取カロリー>消費カロリーというのが基本方針になる。
③行動
ここが肝。実際にどうやるかということを考えられてないが故に頓挫するパターンが良くある。本当に実現したい目標なら、どれくらいの頻度で、いつ、どこで、どうやってというのをすべて具体的に決めたうえで、さらに実行の際に想定される障壁とその対処方まで考えておくべきである。少なくとも自分はこうでもしないと意志力だけでは続かない。
例によって自分の場合。
どうやってやるか。
上司に薦めてもらった『絶対話力』という本がある。ゴールドマンサックスで営業やっててその資産運用会社のトップになった人の本である。営業の大事なことが書いてあって、その中にまあ言ったらしゃべる練習方法みたいなのがある。多くの人はへーと思って実際やらない。これを継続してやってみよう、というのが方法。
最初のうちは日本で練習して英語になるべく早く口に出して訳してみる、というのを繰り返す。英語で詰まった部分を書き留めて練習する。分からなかった言い回しはストックして血肉にする。同時に上手い言い方というのも練習できる、というわけである。
ちなみに、フレーズストックのための単語帳アプリはもうインストールしたし 、苦手な構文が来た場合は『瞬間英作文』をやると決めている。なければ自分で作る。ここまで決める。具体的であれば具体的であるほど良い。
いつやるか。
基本的に平日は平均して1時間は完全フリーの時間が作れ、土日は暇である。ただし平日はムラが大きいので使えない日にする。ポイントは無理をしないこと。なので、1週間に1テーマについて練習をする、という余裕あるプランにする。
どこでやるか。
家。声を出すので。
想定される障壁と対処法。
①モチベーションの維持。
いくらやっても試さないと分からない。なので試す場が必要。
幸い駐在先では営業と総務経理というなんでも屋さんの人事配置をされているので、お客さんに会ってきまーすと言って練習したテーマについて話してみることができる。なのでテーマは仕事寄りにして、会社紹介とか新商品の紹介とか良さげな自己紹介とかそんなところからやっていく。
②誘惑。
家なので、本やらパソコンやらなんでもあってしまう。だらだらやりがちになるので、時間を決めて駆け抜ける。
③忘れる。
丸暗記はしないけど、せっかく練習したフレーズを忘れては意味がない。復習が必要、と言うか、復習する仕組み作りが必要。これについてはやってみてから設計する。
総括
とまあこんな感じで目標を立てて実行計画を立てれば、目標も夢で終わらずに済むのではなかろうかと。
結局なりたい像があるから誰しもが漠然とでも目標を立てる。でも忘れる。で翌年似たような目標を立てる。また未達。これでは一つも成長していないのである。現状を把握して目標を立てて地道に努力を継続することで達成し、また新たな目標を立てる。こうして積み上げることでしか成長なんかできへんのです。やりましょう。
あと、当たり前すぎて書き忘れてたけど、設定する目標は必ず一つ。2つ以上は絶対失敗する。なぜなら、目標達成のためには地道な努力が必要で、それは要するに習慣化である。朝夜の歯磨きみたいに生活の中に完全に組み込むことになる。そして習慣化は1つ1つやっていかないと高確率で失敗することが明らかにされとります。
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『メンタルが強い人がやめた13の習慣』 http://amzn.asia/izTcIEU
『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』
【英語】1週間セブ島に短期留学行ってきた
会社の1週間の夏休みと土日を使ってセブ島のとある英会話学校に短期留学してきました。
留学自体は非常に有意義なものになりました。
友達も多くできて、先生も全員フレンドリーで、カリキュラムも1日9時間すべてマンツーマンという詰め方ができ、土日はアクティビティに参加してきれいな海と絶景の山と名所の滝に行くことができ、心身ともにリフレッシュできましたね。
学生が多く、少し学生時代に戻ったような気分になりました。
早慶の学生なんかと就活や将来について話しているときはなかなか楽しかった。
こういうことが自分は好きなんだなと実感できました。
さて、英語を話せるようになるには何が必要か、備忘録がてら書いておきたいと思います。
英語を話せるようになるために1番重要なのは、
文字依存ではなく、脳内で日本語を英語に訳す訓練をひたすらすること、だと思った。
それをやるには、やっぱりひたすら英会話が一番有効なんじゃないかと。
それでは説明していきます。
まず、普通に英語を話す局面は、メモやカンペを見ながら話すわけではなく、全くのアドリブで話すことになります。
当然、自己紹介や商品説明や会社紹介などの決まった英語は暗記すればそれなりに話すことができますが、こと外国人とコミュニケーションを取るための英語となると、完全アドリブです。
1日9時間の英語の授業には、完全にアドリブトークのものと、日本語を見て英訳する、視覚的に文字依存授業がありました。
後者の方は、かつて受験戦士であった方なら、頭の中に英語の文型が浮かび、すらすらとはいかないまでも、正確な英語に訳すことができる。
一方で、前者の完全アドリブは、かなりきつく、簡単な英文ですら、すっと出ない。
これはおそらく、相手の英語を理解し、返事を日本語で考え、それを英語に訳す、という多くのステップを必要とし、ワーキングメモリをかなり要する作業になるからでしょう。
このきついアドリブトークの中に、例えばよくある会話なんかが混ざると、その部分だけ身体が勝手に反応して、日本語の思考を介することなくすっと英語が出る瞬間があることが分かる。
例えば、How are you?と聞かれると、多くの日本人はI'm fineと答えることができる、いや、そう答えてしまうと言ってもいいかもしれない。
つまり、自分の中に基本パターンとして蓄積されているということである。
そして、英語をすらすらと話せるようになるには、このパターンをまずは自分の中に蓄積させていくことが先決になる。
冒頭の結論に戻って、英語を話せるようになるには、アドリブトークを繰り返す、それには英会話が良い、と言う話だが、これは、どういうパターンが自分の中にあるのか分かり、どういうことを言おうとすると言葉が出ないのか、ということが分かるからである。
また、ものにしたパターンをいろんな単語を使用することでより生きたパターンへと深化させることができる。
このパターン形成には、『瞬間英作文』にはじまり、多くの参考書が世に出ているので、ひとつしっくりくるものをやるこむことをおすすめする。
なお、留学先の学校にIT(Instant Translation)という授業があったが、参考文献が『瞬間英作文』であったのは、その有効性の証左であろう。
かく言う私もすらすらと英語を話すことができるわけではないので、偉そうなこと言えるわけではないが、少なくともこの1週間で身をもって分かったことは、こんな感じ。
あとは時間が膨大にかかるということ。
火曜日から金曜日は1日50分×9コマで450分が4日間で1800分、初日の月曜日は授業が午後のみの50分×5コマで250分。合計で約2000分の英会話をしたので、25分のオンライン英会話で言うなら、80コマ分なので、1日1コマやったとしても、2ヶ月半くらいかかる密度。これを1週間で詰め込んだことになるが、少しの上達感はあったが大きなブレークスルーはなかった。
これは、すべてアウトプットの授業の詰め込みだったので、適度にインプットをする必要がある、との教訓と捉えることができる。
『脳が認める勉強法』によると、最も学習効率が良いのは、インプット3割、アウトプット7割という比率、と記述があったことを記憶しているが、その通りだ思った。
インプットをアウトプットにつなげるという前提を必要とするが、以下のようなサイクルをぐるぐると愚直に回すことが一番の近道になるんじゃないでしょうか。
①パターン形成(インプット)
②英会話(アウトプット)
③英会話レビュー(何が言えて何が言えないか)(インプット)
④補足インプット(パターン・文法・単語)(インプット)
始めのうちはインプットが多くなると思いますが、慣れるに従い、アウトプット中心に自然とシフトできるはずです。
ということで、私もさっそく始めたいと思います。
成果が出始めたら報告したいと思います。
今回の留学で面白かったのは、英語の発音。
完全に独学でしか勉強してこなかったけど、フィリピン人の先生何人かに、アメリカンアクセントを使えるのね、どこで留学してたの?と聞かれたこと。
次回は発音の話でも書こうと思います。
ひたすらモノマネするっていう、それだけやけども。
『実際に専門家の治療を受けてO脚について分かったこと』
「O脚が治れば身長が数cm伸びるんじゃないか」
特に身長が低い人なら、1度は考えたことがあるのではないでしょうか。
ネットで調べても、専門家でさえ言っていることが全然違いよくわからないので、自分で試してみるしかないと思い、治療に行ってみた。
忙しい方のために、結論だけ先に書きます。
身長UPにポジティブな結果をもたらす可能性が高いですが、それはくの字に曲がっていた脚が真っすぐになった分だけ縦に伸びる、という単純なものではありません。
私も現在治療中(というかトレーニング中)ですが、初診から1ヶ月ですが、1cm弱伸びました。
重要なことですが、治るO脚と治らないO脚があるそうです。また治るO脚であっても、身長が伸びる保証はできないと先生が言っておられました。
が、ひとつの事実として、私は今のところ微増ですが、伸びました。
これから書くことはもちろん治るO脚についてですが、その判断は専門家にしてもらいましょう。
O脚とは。
ご存知の通り、脚をくっつけようとしても、左右の膝や太ももの間に隙間が開いてしまうあれのことで、その状態を広義にはO脚と言ってよいでしょう。
私は拳がまるまるひとつ入るくらいなかなかのO脚でした。
まず、O脚とは、単に下半身だけの問題だけではなく、また骨が歪な形をしているわけでもない。
O脚とは、簡単に言うと、その多くは骨盤から下の脚が内旋している状態です。(O脚も患者により様々な種類があり治療法も全く異なるほど奥が深く、このパターンではない方もいるはずです。)
試しに鏡の前に立ち、膝を曲げずに左右のかかとをつけてつま先を少し開き、O脚だなという人は脚を外向きにねじろうとしてみてください。左右の脚の間が狭くなります。
外旋させようとすると、膝のお皿が正面を向き、脚がまっすぐになります。この状態が維持できるようになれば良いわけですね。
脚が内旋している、内向きにねじれているということは、骨格や筋肉もそれに従って発達しているということです。
この内旋に適応して落ち着いてしまっている骨格や筋肉を治療やトレーニングによって、外旋させていくのがO脚矯正のプロセスということになります。
その過程で必要なことが二つあります。
①専門家による物理的な治療
脚を外旋させるために全身の骨格の歪みを矯正してもらいます。
重要なパーツは骨盤です。骨盤の位置を矯正します。99%のO脚は骨盤を前にクイっと上げるように動かします。マイケルジャクソンのあの踊りみたいなイメージです。
ちなみに先生いわく私は1%の方で、尻を後ろに付きだし後ろにクイっと持ち上げる方でした。
これは自分で意識して動かしていくのではなく、マッサージというか、骨盤辺りを先生にいじってもらって位置を強制します。
1度動かしてしまうと、信じられないかもしれませんが、物理的な衝撃や姿勢などから矯正前の位置に戻ってしまうことはほどんないそうで、戻るとしたら食べ過ぎ飲み過ぎからくる内臓の変化に起因することがほとんどだそうです。
また、骨盤以外にも私の診療所では全身の骨格を矯正してもらえました。
太ももやふくらはぎの筋肉の流れを外旋しやすいように動かしてもらったり、固まっている足首を柔らかくするために針治療をしたりしました。また骨盤を後ろに出すのに胸を張るのが重要になるのですが、そうしやすいように肩の位置を少し矯正してもらいました。(この辺りの治療が痛い!)
こうした全身の骨格の歪みを矯正することで、身体がまっすぐになり姿勢もよくなるので、もともとの歪みがあるのでもちろん個人差がありますが、1cm以下程度ですが、身長があがります。
また、姿勢が良くなるというのは重要で、ビフォーアフターの写真を見るとアフターの写真では胸筋があるように見え、肩が張り、モテボディに近づく変化が見えます。
②脚を外旋させるためのトレーニング
長年内旋していた足を外旋の状態に固定させるのはそう簡単ではありません。
これはには長期的なエクササイズが必要になります。
私はサッカーを15年ほどやっていたので下半身の筋肉には自信があったのですが、それは内旋用の筋肉なので、外旋に使われる筋肉は全く鍛えられていませんでした。本当に衝撃的でしたね。
具体的なトレーニングはここでは言いませんが、一番重要なのはケツ筋です。足をそろえた状態でケツの穴を閉めようとするとケツに力が入ります。その状態で脚に目を向けると、外旋していることが分かります。ケツ筋に筋肉をつけることで、その状態をノーマルにしていくというのがこのトレーニングの目的です。長期的に地道に努力することが必要です。一朝一夕で成果が出るものではないですし、理論上の限界もあります。この辺は素人では絶対に分かりません。
まとめ。
O脚とは、大雑把には、脚の内旋によるもので、矯正するためには外旋させればよい。
そのためには、①専門家に骨格・筋肉をいじってもらう ②専門家指導のもと正しいエクササイズを行う という2つともが必要です。
①だけでも短期的に身長が少し伸びる可能性は大きいが、それは本質的には②の土台なので、いかに長期的に継続的にトレーニングをこなせるか、ということが1番重要です。
院長という立場上当然ですが、診療所の先生はネットにあるようなO脚が治る体操のようなことが一番脚によくない、やらない方がマシと言っていました。また、そんな簡単に治るものでもない、時間をかける必要があるということに尽きます。
最後の私が行った診療所を紹介しておきます。
私は信頼できる先生だと思っています。
・O脚改善プログラムみたいなのがあるわけではなく、きちんと個人の症状に合わせた治療をしてもらえる。
・院長である小林先生は整体の先生の先生をされていて、関東にも生徒がいる。
・結果にこだわって治療を設計してくれる(初診時に、あなたにとってO脚が治った状態とはどのような状態ですか、と定義付けを求められる)
これまで書いた治療やエクササイズすべてここでやってもらったものです。
他の整体・診療所ではどのように治療がされるのか分かりませんが、ひとつ信頼できるだろう治療方法として上記を書かせてもらいました。
真剣に悩まれている方がいらっしゃったら、専門家に相談されることを強く勧めます。
【英語】canとcouldの違い ~couldは単にcanの過去形などではない~
今日は英語について。
初学者向けというよりは、少し文法も勉強して深い理解をしたい方向け。
さて、英語が義務教育である日本人なら誰もが聞いたことのある2つの単語でしょう。
そして、多くの方が、couldはcanの過去形だ、と教えられてきたことでしょう。
もちろん、私もそうです。
当時、センター試験の英語は190点だったが、これから書くことは微塵も知らず、couldはcanの過去形だと信じていた。
でも、それだと、恐ろしいことにcouldの半分も理解できていないことになる。
それではさっそくやりましょうか。
まずはcanという言葉のおさらいから。
意味は基本的に以下の3つがある。
①推量 ・・・possible 「ありうる」
②許可 ・・・allowed 「してよい」
③能力 ・・・have the ability to do something 「できる」
ここで、couldという単語を英語で紹介しよう。※参考文献より引用
could ・・・the past of can ,especially with understand, see, hear, smell, taste, feel and remenber
つまり、couldがcanの過去形として使用されるのは、基本的には、上記の単語と一緒に使用された時だけなのである。
例:As soon as I walked into the room, I could smell gas.
また、上記の単語以外と一緒に使われるときは、多くは時制の一致によるものである。
ちなみに、上記以外の単語を使用して「~できた」と言いたいときは、was able to doが使用される。
これは、couldが「一般的は能力がある」という意味での「~できる」なのに対して、was able to do が「特定の状況での能力」という意味であることに由来する。
よくわからない人は、上記の単語というのは、一般的な能力に言及しているからcouldが使用されて、それ以外は、多くは、特定の状況での能力についてだからwas able to do が使われると思ってもらってOKです。
例:Fortunately, everybody was able to escape .
ここまでは前座です。
それでは本題いきましょう。
couldがcanの過去形、という意味で使われないときは、どういう意味になるのでしょうか。
possible actions now or in the future
※canも同様の意味で使えるが、couldの方が不確実性が高い
ということで、couldは当然のように現在・未来についても使うことができます。
例 A:What shall we do tonight?
B:We could go to the cinema.
あえて、couldのニュアンスを分かりやすく訳出するとこんな感じ。
A:「今夜なにする?」
B:「映画でもえんちゃう、知らんけど」
こんな感じで、「たぶん行かないけど」とか「全然決めてないけど」とかそんな感じの曖昧なニュアンスを醸し出せるわけです。
これでAが、「あ、ちょうどいいわ!見たい映画あるねん!」とか言うと、
Bは「ほんまに行くん!? 適当に言うただけやのに 笑」みたいになります。たぶん。
また、このニュアンスを説明する分かりやすい説明が以下。これがミソ。
can ・・・realistic 「現実的」
could ・・・unrealistic 「非現実的」
まずは、canの例から。
例: Sarah is my friend.So I can stay with her.
「サラは友達だから、彼女の家に泊まれる」⇒ realistic
次にcould。
例: I'm so tired. I could sleep for a week.
「くっそ疲れたー1週間寝れるわ。(嘘やけど)」⇒ unrealistic
こんな感じで、適当なことばっかり言ってしまう関西人には使いどころが多いなーとか思ってました。
「絶対嘘やん!笑」とか返されるような適当な非現実的なことにはcouldを使いましょう。逆に言うと「お前を守れるのは俺だけだ」みたいなクサいセリフを言いたいときに、間違ってcouldを使ってしまうと怒られるはずです。
少し応用編。could have。
こいつには2つの使い方がある。
①the past
②something possible but did not happen
①から。これは現在・未来に言及するcouldを過去の文脈で使いたいとき。
例 I was so tired. I have could slept for a week.
「(あんとき)めっちゃ疲れてたし1週間は寝れたで」
次に②。こちらは大学受験英語でおなじみのやつ。もちろん過去の話。
例 You could have stayed with Sarah.
「サラのところに泊まれたのに(泊まらなかった)」
ここまでcouldを見てくると、以下のような、慣れないとパッと見て気付きにくい仮定法も、わりとすんなり理解できるようになる。
例 I could do that.
「おれやったらできるのに」(実際はなんらかの理由でできない)
洋画を見ていると、省略、多義語である基本動詞、助動詞、背景知識を要する発言、とかが多くあり、英語字幕を一時停止を多用しながらじっくり見ても、やっぱりよくわからんところとかがあり、日本語字幕を見ても、どこをどうしたらそう訳出されるねん、みたいな、むしろ間違ってんちゃうんか、みたいなもやもや感が出る。
今回のように、助動詞は発言のニュアンス、という点において非常に重要である。
少しでも英語を表面的でなく、深く理解して、ネイティブと同じタイミングで意味が分かった上で笑うことができるようになりたい、という目標を設定している人の一助になればと思います。
次回、willとwouldの違いでもやろうかなと思います。
※筆者は英語教育者でもなんでもなく、教科書を使って勉強したことの自分の理解が書かれているに過ぎません。書いてあることが間違っていることもあるかもしれませんが、ご容赦ください。
ー参考文献ー
・English Grammar in Use ~Fourth Edition~